20190708【G20茨城つくば貿易・デジタル経済大臣会合サポート事業】《ドイツ》合理的思考や質素倹約を美徳とし、EUを牽引する国

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ドイツと聞いて、皆様は一体どんなイメージを思い浮かべるでしょうか?
古くから厳格で真面目、質素倹約を美徳としているイメージのドイツですが、今年のヨーロッパは異例の猛暑で、ドイツでは過激な「ヌーディズム」が報道された事は記憶に新しい所です。

【ドイツ人は食事にはお金も時間もかけない!?】

ドイツ人は衣食住の中では、「住」に最も重点を置き、家を綺麗に保つことが最重要で、調理された暖かい食事も、これから活動する為に重要な昼食に一回取ることが普通となっています。
ドイツ料理は、小邦の集まりの為、近隣諸国と相互に影響し合った 地域ごとの料理や、風土も農産物もそれぞれ違い数多くのバリエーションに富んでいます。
料理のメインは肉とじゃがいもで、風土的にも食材が不足しがちな為、それを解消する、マリネやザワークラウト、ピクルス、ヴルスト(ソーセージ)などの保存食品が発達し、ソーセージの種類は1500種類、パン1500種類、じゃがいもも130種とこだわってきました。

そして、誰もがご存知の通り、ビール祭り「オクトーバーフェスト」が開催されるなど、ドイツ人はビール好きで有名です。ビール消費量は世界第3位、生産量も世界第5位となっています。

●「シュニッツェル」は、仔牛のヒレ肉や赤身肉を叩いて薄く伸ばしてカツレツにしたドイツ、オーストリアの肉料理。

●「シュパーゲル」=白アスパラガス ドイツ人がとても楽しみにしている春の旬の食べ物で「白い金」や「食べられる象牙」などと称され特別扱いされている、まさにドイツの野菜の王様です。

●「ダッチ・ベイビー・パンケーキ」は、通常は朝食に出される甘いポップオーバーで、ドイツのプファンクーヘンに由来し、ジャーマン・パンケーキ、ビスマルク、ダッチ・パフとも呼ばれます。

●「ビアシンケン」はビールに合うハムという意味のドイツソーセージです。 幸福豚の生地に、塩漬けにした豚もも肉の角切りを入れ、 ソーセージとハムの旨昧を一緒に味わえる欲張りな逸品です。

●「マウルタッシェ」は、ドイツ・シュヴァーベン地方の郷土料理で、パスタ生地の中にひき肉・ホウレンソウ・パン粉・タマネギを詰め、パセリやナツメグでフレーバーを加えます。修道院で肉が禁じられた期間に、パスタ生地に入れてしまえば神様にも見えないだろうと云う発想から誕生した料理。

●「プレッツェル」は、ドイツ発祥の焼き菓子で
小麦粉とイーストを原料とし、焼く前に数秒間水酸化ナトリウム水溶液につけることで焼ける間に表面が特徴的な茶色になる、独特な結び目の形のお菓子。
●「ヴァイスヴルスト」は、ドイツ・バイエルン州の伝統的なソーセージで、よく挽いた仔牛肉、新鮮な豚肉のベーコンから作る。

【哲学思考的・ドイツ文化】

■ドイツ哲学
深い森の多い厳しい風土に育まれたドイツ人は、地中海側の温和な風土へ憧れ、夢想し「ユートピア」「理想郷」を求める事が思考の根底にはあり、ドイツ人が置かれた歴史的状況のその時々で、自らの生き方を深く反省し、また、人間を取り囲む、宗教的環境や様々な謎への答えを探り続けてきた努力の軌跡が哲学である。

*著名なドイツ哲学者… フリードリヒ・ニーチェ‎、イマヌエル・カント、 カール・マルクス 他

■ドイツに於ける音楽
ドイツではモーツァルトやシューベルトの曲が普通にドイツ民謡として親しまれていたりする事がとても面白く、それは宗教改革でプロテスタントが広まり、会衆がコラール(=ルター派教会の讃美歌)を歌う流れができたこと、三十年戦争後、小邦それぞれに宮廷楽団ができ、ハプスブルク家も音楽家を雇い音楽を保護するなどする事で、歌劇場も各地で建設され、ドイツ音楽は発展し代表的な物となった。

*著名な音楽家…ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、ロベルト・シューマン他

■テクノミュージック
そして現代首都ベルリンは、クラブカルチャーとモダンアートの街となり、分裂時代の象徴・ベルリンの壁はペインティングアートで埋め尽くされ、週末は24時間ノンストップでクラブに大勢の人々が集まる、世界一のオルタナティブカルチャーの街となった。

ドイツのテクノミュージックの火付け役となったのは、電子音楽界の父と呼ばれる、「KRAFTWERK(クラフトワーク)」。1970年代からドイツで活躍開始し、シンセサイザー、ドラムマシンを巧みに操り人々を魅了した。

1989年の壁の崩壊後に廃墟となったビルや工場を若者たちが占拠して、次々とオープンしたクラブがこの街のカルチャーの原点。
「ベルグハイン」は、世界最高峰のクラブと呼ばれており、土曜の夜にオープンするパーティーはノンストップで月曜の朝まで盛り上がる。

* モダンアートなベルリンの壁の現在
・シュプレー川沿いの全長1.3kmの壁に100人以上のアーティストによって絵が描かれた「イーストサイドギャラリー」
・検問所の跡地「チェック・ポイント・チャーリー」
・脱出を試みた人たちの手記や道具などが展示され、壁の悲劇を今に伝える「壁博物館」
・崩壊の日、市民が押し寄せ、壁を乗り越える映像が世界に流れた「ブランデンブルク門」は統一の象徴

■Japan Cultureイベント
2019年5月、第18回目となるJapan-Tag Düsseldorf / NRW 「日本デー」が、デュッセルドルフのライン川沿い遊歩道を会場に開催され、日本とドイツの友好を祝いました。日本の伝統、習字やコスプレといった様々な催しが開かれ、何と60万人もの訪問客が日本文化を体験し、日本人市民と共にお祭りを楽しみました。
ライン川の夜空に 日本の伝統花火が煌々と打ち上げられ、5つの輝く花火で フィナーレを飾りました。次回は2020年5月16日に開催予定!

●日本デー
http://www.japantag-duesseldorf-nrw.de/jp/
●参考 ドイツのジャパンフェス8選
http://www.newsdigest.de/newsde/features/8467-japan-festivals-in-deutschland/

【世界へ影響を与えるドイツのモノづくり産業】

■ドイツのマイスター制度
ドイツでは小学校4年生を修了すると、大学の進学を目指す進学コースか、職人訓練学校に分かれます。職人訓練学校に進んだ場合、5年または6年を職人訓練校で学んだ後、職人訓練コースへと進みます。その後、ゲゼレと呼ばれる職人・プロの国家資格を取得し、さらに上のマイスターと呼ばれる職人最高峰の国家資格の取得を目指します。
ドイツではマイスター・職人の資格が国家的な枠組みの中にあり、その資格は社会的な地位も表す、確実な技術力をもつ特別な存在なのです。

●マイスターに求められる能力
・後輩を教育する指導力
・高品質なモノをつくる技術力
・新たなモノをつくり出す開発力
・会社の生産性を維持・向上させる経営力

■インダストリー4.0
2011年、ドイツはインダストリー4.0という、製造業についての国家戦略を発表しました。第4次産業革命という意味が込められていて、IoTやサイバーフィジカルシステムの技術により、工場をスマート化、つまり工場全体をIoT化することで、より生産性が高くコストを抑えた製造を行うのがねらいです。

■ドイツの主要産業の歩み
1885年、世界で初めてガソリンエンジンで走る自動車を生み出したのは、2人のドイツ人でした。今でも会社名、車種名として名前の残る、ゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツです。今でこそひとつの会社になっていますが、当初彼らは別々にガソリン自動車を開発し、販売を始めたのです。
それから10年も経たずして、同じドイツの発明家ルドルフ・ディーゼルにより、ディーゼルエンジンが発明されます。
第二次世界大戦中には、ナチスによって液体燃料ロケット技術の研究開発が進められていました。後に、スペースシャトルや人工衛星打ち上げロケットなどの宇宙研究分野へと活かされていくことになります。

現在有名なドイツの企業は様々あり、高圧洗浄機において世界トップクラスのシェアを誇るケルヒャー、電気シェーバーで有名なブランド・ブラウン、このほか、プーマやアディダスといった、スポーツ用品メーカーなどもあります。

【大戦までの複雑な歴史的要因】

合理主義、哲学的思考、質素倹約を美徳とするドイツ国民を育んだその複雑な歴史を見てみましょう。

ローマ帝国時代、この地域には「ゲルマン民族」の他、様々な民族が定住していましたが、9世紀始めフランク王国統一後分裂し、西フランク王国→フランス、東フランク王国→ドイツ、中フランク王国→イタリアと、それぞれの国の元となりました。
その後、イタリアとドイツの地域は神聖ローマ帝国となり、政治的権力を象徴する皇帝と宗教的権力を象徴する教皇の二つを頂点とした権力が生まれ、これが後の歴史に問題を生み出す要因となりました。
後にスイス地方から出たハプスブルク家の皇帝は、オーストリアを基盤として、
ヨーロッパの各国の王室との婚姻政策を進めてスペインやネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー)に領土を拡大し、隆盛を迎えます。

16世紀初頭、神学教授マルティン・ルターが「95か条の論題」を発表し、カトリック教会の贖宥状(免罪符)販売を批判した事に端を発し、カトリックに対抗するプロテスタントが生まれ「宗教改革」が勃発、ドイツの国内のみならず、ヨーロッパの国々も巻き込む宗教戦争=30年戦争にまで発展します。

これによりハプスブルク家は弱体化、オーストリアの皇帝となり、ドイツは300もの領邦に分かれた領邦国家として存在することになります。
その後、ナポレオンによる支配、プロイセンとオーストリアとのドイツ連邦を経て、ビスマルクがプロイセン首相に就任後、オーストリアを排斥し、ヴィルヘルム1世を皇帝とするドイツ帝国(第2帝政)が成立し、長き道のりの末ドイツ統一が果たされたのです。そして、同盟国オーストリアに追従し第一次大戦に参戦、敗退後、約十年の間で経済と政情も安定化、国際連盟に加盟し国際社会に復帰するも、1929年アメリカ株価暴落に端を発した世界恐慌により、再度政情は混乱に陥り、その混乱に乗じてアドルフ・ヒトラー率いるナチ党が政権を掌握し台頭する事となります。
そして、第二次世界大戦という中で様々な悲劇が生み出される事となったのです。

敗戦後の1949年5月、米・英・仏の占領地域では自由主義・資本主義国家としてドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立。これに対抗してソ連は同年10月に占領地域をドイツ民主共和国(東ドイツ)として共産主義国家を樹立。

年月を経て、ソ連の書記長ゴルバチョフが始めた「ペレストロイカ」の波が東ヨーロッパに押し寄せた結果、東欧各地で民主化の動きが加速度的に発生します。
しかしその中で東ドイツは、東欧革命の波に乗じることは共産主義国家・東ドイツの存在を否定してしまうことになりかねない為、「共産主義」国家としての存在を守ろうとして政府が外からの情報を遮断し、頑なに民主化を拒み続けました。

しかし間もなく、西側へ出国する市民が増え、押し寄せる情報の波によって、1989年11月、東西ベルリンを隔てていた検問所が開かれ、壁が破壊され東西の往来が可能になったのです。それから1年を待たずして、社会主義政権下で疲弊しきった東ドイツを西ドイツが飲み込む形で、ドイツは再統一されました。
そしてドイツはヨーロッパの大国の地位を回復、今では1992年に発足したEUを牽引する先進国となりました。

●ドイツ国旗/ 黒、赤、黄(金)の三色は、 自由と統一の象徴

この中で最も注目すべきは、ドイツではナチ党の史実を次世代に伝えることが最重要課題とされており、ユダヤ人迫害をはじめとするナチ時代の加害の歴史を学ぶために、学校教育でも十分な時間がとられているという事です。
ランメルト議長は「ヒトラーは、偶然権力を取ったのではない。彼を選んだドイツ国民にも、責任がある」とし、現在のような民主社会、法治国家は空気のようなものではなく、意識して守らなくてはならないものだと訴えています。

そしてメルケル首相の、近年の押し寄せている難民に対しての寛容な対応も、ナチスドイツが隣国を攻め、多くの難民を生み出した事に対する償いとして、ドイツの憲法には『政治的亡命者は庇護権を有する』という一文があり、その憲法(基本法)を守ろうとしての行動なのである。

【ドイツの観光地】

●シュヴァルツヴァルト北部の温泉保養地、「バート・ヴィルトバートの街並み」。

●「ホーエンシュヴァンガウ城」は、バイエルン州フィッセン近郊のホーエンシュヴァンガウの丘の上に建つ、クリーム色と赤い屋根が特徴のかわいらしい城である。

●中世ヨーロッパにタイムスリップしたかのような光景が今も残るドイツの古都「ハイデルベルク」。オレンジ屋根のかわいらしい街並みが有名です。

●バイエルン王ルートヴィヒ2世が建設した3つの城のうち、唯一完成した城が
「ノイシュヴァンシュタイン城」と「リンダーホーフ城」です。

【 ドイツフェスティバル 2019 は11/1(金)~4(月・祝)開催!】

●ドイツフェスティバル ➡ https://www.deutschlandfest.com/

【OKTOBERFEST 2019 次回は駒沢!2019年7月12日(金)~7月21日(日)開催! 】

ドイツのビールの祭典「OKTOBERFEST」を日本で体験しよう!

●公式HP➡  https://www.oktober-fest.jp/

文/皆美光

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